こんにちは、ホシマサキです。
自己紹介でも触れましたが、私はインドネシアに留学した経験があります。
大学院2年の後期から1年間休学して、その年の10月から翌年の6月末まで約9ヶ月間留学しました。
そこで、『インドネシア留学シリーズ』と題して、留学に至るまでの理由、方法、現地での活動、思い出などについて書きたいと思います。
第1回は、「海外に住みたい、海外で働きたい」です。
1.海外に興味の無かったあの頃
小学生の頃の将来の夢は「漫画家」、中学生の頃の将来の夢は「本屋さん」、という根っからの文系少年だった私。
海外について全く興味も知識も無く、とりあえず大学に入ることを目標に高校生活を送っていた高2時代。
クラスで英語の教科連絡係(宿題や持ってくるものを教師に聞いてクラスに伝える係)になった私に、衝撃的な出会いがあったのです!!(どどーん)
2.ALT・デイビットとの出会い
私が通っていた高校では、英語のALT(= Assistant Language Teacher)が在中していて、高2~高3の夏休みまでは、デイビット(仮名)というイケメン長身のニュージーランド人がいました。
英語の教科連絡係だった私は彼と話す機会も多く、また英語教師も年齢が若く気さくな人で勉強以外のことも話せたため、私は英語のこと、海外のことに少しずつ興味を持つようになりました。
遂には海外に行ってみたいと思うようになり、夏休みに開催される県の交換留学プログラムに応募。志望動機(日本語)を国語教師に添削してもらいながら書いたり、ウィリアムスと面接の練習(英語)をしたりしたものの、あえなく落選(集団面接に物凄く弱い人見知りな私)。
残念ながらこの時海外に行くことはできませんでしたが、この経験もあり、より一層海外への憧れが強くなったのでした。
(余談になりますが、この記事を書いていて志望動機で書いた「日本と海外との架け橋になりたい」という言葉をふと思い出しました。図らずとも今現在そのような立場になりつつあるのかなあと思います。)
3.デイビットの夢と私の目標
色々と仲良くしてくれたデイビットでしたが、彼には夢がありました。それは、「日本の小学校で英語を教えたい」という夢。「自分の言葉を日本の子ども達に教えてあげたいんだ」と語る彼は、とても輝いていました。
そしてデイビットの夢は、同時に私の目標にもなりました。彼に憧れた私も「自分の言葉、つまり日本語を海外の人に教えたい」と思うようになったのです。この時初めて、「海外に住みたい、海外で働きたい」ということを強く意識するようになりました。
しかし、一口に「日本語を海外の人に教えたい」、「海外に住みたい、海外で働きたい」といっても、今まで海外に興味の無かった私には見当もつかない話。
海外で日本語を教える仕事ってどんな職業??
そう思っていた矢先、あるテレビ番組でその職業の特集をしていたのです!
その職業とは・・・
→第2回に続く
ここまで読んでくださってありがとうございました。
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